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坪井直さんご逝去(高橋悠太・KNOW NUKES TOKYOのコメント)

2021年10月24日、坪井直さんがご逝去されました。心からご冥福をお祈りいたします。
以下、共同代表の高橋悠太のコメントです。(10月27日発出 / KNOW NUKES TOKYOを代表するものでもあります。)

坪井さんは、20歳の時、爆心地から1.2km地点で被爆。大やけど、その後、結婚差別を経験しながら、日本の、世界の先頭に立って、核廃絶を訴えてきた方です。

高橋悠太は、中学3年次、クラブ活動で、2日間計5時間にわたり、お話を伺いました。その後、仲間たちと2年がかかりで、冊子化。「にんげん坪井直 魂の叫び」にまとめました。
聞き取りの時、初めて会う緊張。しかし、とっても温かく迎えてくださいました。懐かしい記憶です。

その時、結婚差別について、涙を流しながら、語ってくださったことが印象的でした。その後、世に出す際、「親族がまだ存命だから」と一度は断られたが、それでも「核兵器の非人道性の象徴なんだと思う」と再度お願いし、冊子化にこぎつけました。「こりゃあ、妻の墓前に行って報告施にゃならんな」。その言葉が忘れらません。
ここ1年くらいは、病気で、メディアなどにも出演されることがなく、心配しておりました。苦しみや死を乗り越えて、本当に本当に、核廃絶に力を尽くされた人生。感謝感謝です。

日本が核兵器禁止条約に加わる姿をその目で見られなかったことが、無念でならないだろう、とお察ししています。

坪井さんの生きた証を心に、文字に刻み続けなきゃいけない。そう強く思いながら、活動を継続してきました。だからこそ、自分の中に坪井さんが生きているような気がしています。

なお、中高時代に仲間たちと冊子化した、坪井直さんの証言はこちらのサイトにあります。(日本語/英語)ご一読いただければ、幸いです。
「にんげん坪井直 魂の叫び」

坪井さんは長年、教師として、あの日を語り続けました。私たちは「最後の教え子」と辞任し、彼の生きてきた証を未来につなぎ続けます。

高橋悠太
KNOW NUKES TOKYO一同

お問い合わせは、別ページ、お問い合わせフォームよりご連絡ください。

2016年3月 聞き取り
2016年3月 聞き取り
2017年12月 冊子完成を直接ご報告する。(広島県被団協事務所にて)

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