【ルポ】オンライン被爆証言会vol.1「ヒバクシャと会ってみよう」

核兵器禁止条約発効から1周年を迎えた1月22日、「オンライン被爆証言会 vol.1 『ヒバクシャと会ってみよう』」を開催しました。

多くの被爆証言会は、被爆者の方だけに”過去”を語ってもらう、ということが多いように思います。「オンライン被爆証言会vol.1『ヒバクシャと会ってみよう』」では、KNTの徳田悠希も語り手としてご一緒し、被爆から現在に至るまでの人生の横を歩かせてもらう、そして想いを知る会にしたいと企画しました。

今回は濱住治郎さんを語り手としてお招きしました。濱住さんは、原爆投下時にお母様のお腹の中にいた「胎内被爆者(4号被爆者)」です。現在、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)事務局次長を務めていらっしゃいます。

「生まれる前から被爆者」であった濱住さんがどのような思いを抱きながら核兵器廃絶を訴え続けてこられたのか。ご家族の8月6日当時の被爆体験とともにお話しくださいました。

濱住さんはお腹の中で3ヶ月の時に被爆されました。お父様の職場が爆心地付近にあり、広島への原爆投下当日の朝に出掛けてから戻ってこられなかったそうです。翌日7日にご家族が探しに行ったものの見つけられず、8日にお父様の熱で溶けた遺品を持ち帰られたとのことです。遺品3点のお写真とお父様のお写真を実際に示しながらお話しくださいました。

以下、対談の一部を抜粋して紹介します。

徳田:
ご自身が胎内被爆者であると自覚したターニングポイントはどのようなものだったのですか。

「父親の享年と同じくらいの年齢(49歳頃)になった時、自分自身のライフステージと照らし合わせて、父親には自分なりの人生があったのではないか、父親はその当時どんなことを考えていたのか、と思うようになりました。もっと父親のことを知りたい、ときょうだいに8月6日当日と父親について教えてほしいと手紙を出したことがきっかけです。その内容を基にお話しをしてきました。」

徳田:
胎内被爆者として被爆体験を語る際には苦しみが伴うのではないかと思いますが、いかがでしょうか。

「自分の経験を語ることは辛く、何をどう伝えれば良いのか、常に迷いながら話しています。父親のことやその後の生活、そして残された者達が自分を支えてくれたことで自分が今在るということを伝えたいと考えています。」

徳田:
証言を聞いた反応で印象的なものはありますか。

「76年前の出来事を子供達に語って伝わるのだろうかとの不安がありましたが、子供達は顔を上げてじっくりと話を聞いてくれます。小学生から『原爆の怖さが分かった』という反応があったり、『話を聞いた体験をどう伝えていけば良いのか』という問いかけに対する応答を感想文として書いてくれたりすることが励みになっています。」

徳田:
濱住さんを始めとした被爆者の方々のお話を聞いたことをきっかけに、実際に行動に移す人がいると思います。それを実感する場面はありましたか。

「3ヶ月で父親が亡くなっており、もう少し早く原爆に遭っていたら自分はいないかもしれない。自分が生きているということから、命の大事さを伝えていきたいと考えています。悩みを抱える子供が『生きていかなければ』という感想を寄せてくれたり、『平和に関して関わりを持っていたい』と書いてくれた子もいました。人それぞれ出来ることは違うけれど、学んだこと、感じたことを引き継いでいってほしいと思っています。」

徳田:
特に広島・長崎の外だと、すぐに行動を起こすことが難しいと感じます。私自身、それでも核兵器廃絶のために動きたいという想いをずっと持ち続けられたのは、核兵器のある社会に生きているという怖さと、「何もしなかったときに後悔したくない」との思いからでした。核兵器禁止条約の発効後、核兵器廃絶を考える瞬間が着実に増えてきています。条約発効から今日で1年が経ちましたが、濱住さんの周りや社会において、何か変化を感じられていますか。

「条約発効後、日本被団協では日本政府に向けた署名を始め、2021年11月には65万の署名を届けました。国会議員への働きかけなどもしてきましたが、それら一つひとつの活動は決して無駄ではなく、大切なことだと考えています。」

徳田:
(上記を受けて)確かに少しずつ進んでいるという実感があります。私達が国会議員との面会を行う上で、核兵器禁止条約の存在が議員の方々との「共通言語」になっていると感じています。条約の中で特に重視している箇所について教えてください。

「2014年に結成された胎内被爆者の全国連絡会で、胎内被爆者の手記や想いをまとめる機会がありました。その中には、最初から小頭症で苦しむ方達もいらっしゃって、それが認知されるのに時間がかかっており、胎内被爆が知られていないことを痛感しました。核兵器禁止条約では『将来の世代の健康に影響を及ぼす』ことに言及されています。胎内被爆者は一見お腹の中で守られているようで、障がいを持って生まれた人がいて、現在も苦しみ、自分のことを語れない胎内被爆者もいます。そうした方々を間近で見てきたからこそ、この箇所は特に自分自身に突き刺さります。」

徳田:
禁止条約は被爆者の痛みや苦しみに寄り添っている部分が多く、今までの核軍縮に関する条約や核兵器への捉え方が違うと感じています。

「直接被爆、入市被爆 、救護被爆 、胎内被爆など様々な人がいます。色々な被爆者の話を聞き、原爆が人間に何をもたらしたかを知ってほしいと思います。核兵器は人間に人間として生きることも死ぬことも許さない『反人間的』なものであり、存在していいものではありません。被爆者への保障の問題や被爆2世・3世の健康問題も含めて、色々な意味でまだまだ『あの日』は終わっていません。だからこそ『再び被爆者をつくらせない』という強い思いを持って、核兵器廃絶を訴えてきています。」

途中、被爆者の辛いお話を聞く時、ただ傷を開いて終わりたくない、だからこそ色々な入り口から思いを形にしていきたいと徳田が述べたのに対し、濱住さんはいつも被爆証言の終了後には落ち込むのだとおっしゃる場面もありました。
高齢化が進み、「被爆者のいない時代」が近付きつつある今、苦痛を伴いながらも証言をしてくださることは、当たり前ではないと強く感じています。「若い人の視点で今を切り取り、発信していってほしい」という濱住さんの言葉を胸に、様々な形で取り組みを続けていきます。

参加者の中からは、「原爆投下を目の当たりにした被爆者の証言は聞いたことがありましたが、胎内被爆者の方のお話は今回始めて聞きました」といったものや、「被爆者が高齢化する中、被爆者の方の実体験に基づくお話を聞ける貴重な機会であった」という感想がありました。また、「若い方が被爆者との懸け橋となり、核兵器廃絶に向けてアクションを起こしているのは素晴らしい」というコメントもいただきました。

終始穏やかな口調でお話しくださった濱住さんの言葉は、温かいお人柄と相まって私たちに優しく寄り添いながら、心に響くものでした。そんな想いが多くの人に届き、行動を起こすきっかけとなることを願っています。

*撮影時のみマスクを外しています

濱住治郎さん、そしてご参加いただいた皆様、ありがとうございました!

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【メディア報道】
1月22日
NHK world
“Students hold event to interact with Hibakusha”
1月26日
NHK world
“Nuclear Arms Ban Treaty 1 Year On”
1月28日
NHK world
“Advocates of nuclear ban treaty try to build momentum for change”

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