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被爆者の木戸さんを中学校とおつなげすることができました

先日、共同代表の高橋悠太が、愛知県刈谷市立刈谷南中学校のみなさんと、核兵器禁止条約について対話しました。その後、実際に被爆者と対話したい、との声が出たそうで、5歳のとき、長崎で被爆した、日本被団協事務局長の木戸季市さんをご紹介しました。その後、9月30日に木戸さんが学校を訪れ、約1時間の対話が実現しました。

「被爆者として、これからどういう結末を望みますか?」との問いに、「あの日から、ずっと苦しみが続く。人間として生きることを奪われた。核兵器を廃絶し、みなさんが人間らしく生きる道を作り出していくことが一番の望み」と返答されました。
これは非常に重たい言葉で、それが核兵器禁止条約の採択やこれまでの核軍縮のエネルギーの源になったのだな、と感じました。

終了後、上の質問をした生徒さんは「人と人との関わり、つながりを原点にした話で、貴重な経験だった」と語りました。KNOW NUKES TOKYOとして、被爆者のみなさんとの接点をつくることができて、大変光栄に思います。

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